いつのカメラマンだよ!?
こんにちは、食たまです。
走るプラレールに向かって息子が言いました。
「いーね〜。いーね〜。」
往年のアイドルカメラマンか!?と突っ込みたくなるようなおっさん口調。
ま、アイドルカメラマンなんて見たことありませんが。
それにしても、どこでこんなイヤらしいおじさんみたいな言葉を身に着けたのでしょう?
あーやだやだ。
そう思っていました。
その夜のことです。
お風呂から出てきた息子におむつを履かせてパジャマを着せて、よし、お着替え完了!っというとき、
「いーね〜。」
!?
私の言葉でした。
まさか、息子の「いーね〜」は私の真似なのでしょうか。
さらに歯磨きがちゃんとできた後も、
「いーね〜。」
また、私です。
うわー、やっぱり息子の「いーね〜」は私の口癖だったのです。
口癖は気になりだすといちいち気になってしまいます。
今まで私が「いーね〜」なんて言っていることもさえ知りもしなかったのに、それが自分の口癖だと気付くと、言う度にハッとしてしまいます。
そして、それは一日中続いていました。
息子に変な口癖ができてしまったこと、
それ以上に、私があんなおじさんみたいなこと言っているということを客観的に突き付けられてかなり凹んでしまいました。
やっと息子が話すようになって楽しんでいたのに、手放しでは楽しめないものですね。
「いーね〜。」は、おっさんぽいだけで、意味はポジティブな言葉なのでまだいいですが、悪い言葉使わないようにしなければ直ぐに真似されてしまいそうで恐ろしいです。
でも、、、口癖ってなかなか治りませんよねぇ。
「かあちゃん、めがね。」
こんにちは、食たまです。
ある晩のことでした。
草木も眠る丑三つ時、私の隣で寝ているはずの息子が突然声を上げました。
「かあちゃん、めがね。」
はぁ?
見ると、悪い夢を見たのか半べそかきながらこちらに手を伸ばして助けを求めています。
完全に寝ぼけています。
さっきのは寝言だったのか。。。
そう思って、再度息子を寝かそうとお腹をトントン。
「起きちゃったの?まだ夜中だからね。もうちょっと寝ようね。」
と声をかけます。
「かあちゃん、めがね。」
まだ言うか。
「そうだね、かあちゃんいつもメガネ掛けてるよね。寝ようね。」
「かあちゃん、めがね!!」
えーっ!怒ってる!どういうこと!?
と思っていると、息子は枕元にあるメガネを鷲掴みにし私に突き出しました。
ま、まさか掛けろと!?
掛けてみると、急に笑顔になって、一瞬で寝てしまいました。
何だったんだ!?
このときの私は知るよしもありません。これが悪夢の序章だったとは。
そう、その翌日からです。
息子を寝かしつけるときにメガネが必須になったのは。
メガネが無いと怒り出し、掛けるまで決して寝てくれません。
そして、メガネを掛けて寝かしつけしていると、
ガン!
「いーたーいー!!」
寝ぼけて起き上がってふらふらしていた息子の頭突きです。
大声で泣いたおかげで、横で寝ていた娘も起きてギャン泣き。
また寝かしつけのやり直し。
私も危うく目を怪我するところでした。泣きたいのはこっちの方です。
「痛かったね。危ないから、メガネは外そうね。」
と言ってメガネを外すと、やっぱり
「かあちゃん、めがね。」
と更に泣き出します。
この状況でもまだ駄目か。。。
こうして悪戦苦闘を繰り広げることおよそ1時間、息子がちゃんと眠ったことを確認し、やっとメガネを外し、私も寝ることができるのです。
そんな日がもう何日続いたでしょう。
早く終わってくれ、「かあちゃん、めがね。」ブーム!
自分より賢い子を育てる方法
こんにちは、食たまです。
最近「人間ってナンだ?超AI入門」(Eテレ 毎週水曜 午後10時50分)を見ています。
現在は、シーズン3が放送中ですが、シーズン2で面白い話をしていたので、ご紹介したいと思います。
「学習ネットワークの蒸留」という考え方
この考え方が紹介されていたのは、シーズン2の第11回、「老いる」の回でした。
例えば読み込んだ写真がネコかネコじゃないかを判断できるネットワークAがあったとします。
ネットワークAを作るためには、たくさんのネコかネコじゃないかわかっている写真をたくさん見せて学習させて作ります。
ネットワークAは、どんな画像はネコでどんな画像はネコじゃないかを知っているので、
ネットワークAがネコパターンとネコじゃないパターンをネットワークBに教えることができるそうです。
ネットワークAが教師(teacher)、ネットワークBは生徒(student)と呼ばれます。
すると、ネットワークBはネットワークAよりも小さなネットワーク(少ないニューロン)で、同じことができるようになるのだそうです。
ネットワークAが5層のネットワークなら、ネットワークBは4層でネコの判断ができるという具合です。
ということは、同じネットワークの大きさを持っていれば、もっと複雑な判断ができるようになるということです。
なぜならまだネットワークが余ってますから。
ペルシャネコなのかマンチカンなのかまでわかるかもしれません。
人間の技術進歩も蒸留
番組内でも解剖学者の養老孟司さんがおっしゃっていましたが、
この蒸留の概念は、人間の進歩と同じです。
昔の人が発明したもの、考えた概念を、現代の人は常識として親や先生から教わっています。
教わるまでしないような、日常の中に入り込んでしまっている概念さえ、昔の人からしたら大発見、大発明だったものも少なくありません。
例えば数字のゼロのような。
膨大な祖先の知恵を、当たり前のようにベース知識にすることで、人の文化はどんどん進歩してきました。
これは、まさに、さっきの蒸留の概念です。
教師から学べば、より小さい脳で祖先の知恵を理解することができるので、脳の容量が同じなら、祖先よりももっと複雑なことを考え理解することができるのです。
とっても単純 自分より賢い子を育てる方法
上の「蒸留」の考え方が正しいとすれば、自分より賢い子を育てる方法はいたって単純です。
自分の知っていることを全て教える
です。
自分で考えさせた方が本人のためじゃないかとか、
自分で見つける力をつけさせるためにとか、
色々考えて、
「自分でやってこごらん」
とか
「なんでだと思う?」
なんて言いたくなってしまいます。
私もそう思っていました。
友人から頂いた大量のプラレール、2歳になるかならないかだった息子は、電車の手押し遊びばかりして、線路は持て余していましたが、
「そのうち自分で面白さに気付くだろう」とか思って、取り立てて遊び方を教えたりしていませんでした。
でも、違うのです。
私の持つ知識を惜しみなく教えるべきです。
そうすることで、例えばプラレールなら、きっと私が思いつかないようなもっと複雑なレイアウトや、美しいレイアウトを創造することができるこになる可能性があるのです。
しかし、これにはいくつか条件があると思います。
1つは、息子が私の知識を理解できること、
もう1つは、理解した後、息子が自ら考えること、
です。
1つ目は、やはり教えるタイミングを見誤らないことが大切だと思います。
理解できるまで成長したとき教える。
そして2つ目は、息子の素質なのかも知れませんが、知識のもっと先の話をするというか、想像力を掻き立てるような会話をしていけばいいのかなと思います。
何も、私が知っていることを考えて導かせる必要はないのです。
私も知らないことを一緒に考えるスタイル。
こうすれば、知識を伝えることもできるし、考える力を身に着けさせることもできるのではないでしょうか。
おわりに
Eテレの「人間ってナンだ?超AI入門」を見ていて、機械学習の蒸留という概念を知りました。
ある判断ができるネットワークが教師となり、新しいネットワークにその判断の仕方を教えると、新しいネットワークは、より小さなネットワークで同じ判断ができるようになるという事実です。
これを子どもの育児に置き換えると、
「自分の知っていることを全て教える」
ことで、子どもは自分よりも賢い子に育つはずです。
考える力は、知識があってもなくても身につけられるはずです。
人は、好き嫌いもあるし、そんなに単純じゃないかも知れませんが、
私の知っていることは全部教えて、その先を一緒に考えるスタンスでいってみようかなと思います。
私よりずっと賢い子になりますように。
余談 乗り物の歴史がわかる絵本の紹介
完全に余談ですが、ちょうど技術進歩の話が出たので、ご紹介です。
ずらーーーーっと長く年表を広げる作りになっていて、息子は大興奮です。
蒸気機関が発明されてから現代までの乗り物の歴史がイラストで描かれています。
「蒸気機関より自転車の方が新しいんだー。」 とか、私が見ても面白いです。
機会があったら、ぜひ読んでみてください。
経験があるからこそ不安になる
こんにちは、食たまです。
娘は現在8ヶ月。1歳を迎えたら、私は職場に復帰します。フルタイムで。
娘の現状
娘は、のんびり屋さんなんだと思います。
運動系
初めて寝返りを披露してからの2ヶ月間に寝返った回数はおそらく3回。
3ヶ月経っても3日に1回くらいしか寝返らず、4ヶ月目にしてやっと毎日寝返るようになった程です。
そういうわけで、8ヶ月を目の前にしてもまだはいはいはおろか、ずりばいのような移動は全くできません。
やっとお腹を軸に回転ができます。
そんな状態だから筋力も低いのか、一人座りもまだままなりません。
子ども椅子もちょっと危なっかしくて、レストランに行くとソファーに寝かせるか、自分にもたれさせながら座らせるかいつも困っています。
授乳
授乳回数も全く減りません。
今でも8回/日は飲んでいます。10回の日も良くあります。
特に夜間の授乳は頻回です。
起きちゃっただけで本当は飲みたいわけじゃなくて、寂しいだけでしょ?とかそういう飲み方ではなく、
ガブガブ飲みます。
2時間に1回くらい。
もう9kg近い娘にガブガブ飲まれると、なかなか朝起きたときに疲れが取れているどころか、どっと疲れています。
離乳食
以前から何度かご紹介していますが、全然進みません。
もうすぐ8ヶ月になろうというのに、未だに1回食。
ちょっと粒があっても飲み込めず、量も20g程度しか食べない日も珍しくありません。
それなのに好き嫌いもあり、甘いもの以外はほとんど口を開けてくれません。
一番好きなものはバナナです。
復帰までに卒乳したい!
娘にとってはそんなことは知ったことではないということは百も承知。
でもやっぱり、復帰までには卒乳したい。
少なくても夜間だけでも。
仕事から帰って、夜まで授乳なんて考えただけで恐ろしいです。
そう思うと、やっぱり
- 離乳食をたくさん食べて
- そろそろ夜間断乳をして
- 1歳前には卒乳して
なんてマイルストーンが見えてくるというか、勝手に計画を立てしまいます。
そして、その計画からの現状の乖離に焦りを覚えてしまいます。
経験があるからこその不安
一人目の息子のときは、離乳食を始める時期こそ遅かったのですが、その後は順調に進みました。
お陰で、8ヶ月半ばには夜間断乳に成功し、
その頃から3回食が定着、9ヶ月に入ると授乳は朝晩の2回だけになり、
11ヶ月になる前に完全に卒乳することができました。
特に考えて進めていたわけではなく、そのときそのときの息子の様子を見て対応していたような気がします。
そして、結果としてうまくいった。
この経験が私を焦らせています。
たったの二人目なのに、経験者の顔して、こんなもんだろうと計画を立ててしまうのです。
そしてその計画からズレると勝手に焦ってしまうのです。
息子のときは、うまく行っていたからかもしれませんが、そんなに先のことを考えて不安に思ったりしなかったなと振り返ります。
一人目のときの方が不安かと思いきや、一人目はある意味何でもありだったところが、
二人目の方が「経験からから外れている」という不安要素が増える。
変なパラドックスを体感してます。
2歳の息子は毎日その日を生きている
そう思って、息子を見てみると、毎日何の不安も無さそうだなと感じます。
将来何になるのか、何になれるのか、
そのために今何をすべきなのか、
そんなことは多分微塵も考えていません。
毎日、今楽しいこと、やりたいことを一生懸命やっています。
何を目指しているわけでもなく、何の計画もありません。
そこに不安はありません。
子どもたちは、そんな世界を生きているんだなと気付かされます。
何とも比較しない。今、ただ自分。
そんな風になれたらどんなに楽でしょう。
おわりに
娘の運動能力、授乳パターン、離乳食の成長が、息子のときと比較するとやや遅れ気味です。
比較しなければ、大きな病気をすることもなく、毎日笑顔で元気に成長して、順調だと思えるような気がします。
それなのに、私の中で勝手に計画を立てて焦ってしまいます。
私は何をしているんでしょう。
息子を見習って、毎日その日を一生懸命生きれたら良いのになと思います。