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子どもの感性の鋭さに驚いた話。大人が感性を磨く方法。

 

こんにちは、食たまです。

 

 

2歳の息子と散歩していたときのこと、

息子が突然、しゃがみこみました。

 

そして、地面に向かって指をさしながら、

「あー、あー。」

と言い出しました。

 

 

息子が見つけたもの

 

何事かと目をやると、こんな標識がありました。


歩道に描かれた歩行者マーク

 

ここの歩道は、車道側を自転車、建物側を歩行者が通るように、中心に線が引いてあります。

その、歩行者側であることを示すサインです。

 

 

何となく足の形でお分かり頂けると思いますが、

写真に向かって左側がこの白い人の前方です。

 

 

見えている情報を極限まではしょって、色んなことに鈍感になっている私には、

ただの歩行者マークにしか見えません。

丸い頭の棒人間です。

 

何なら「歩行者」と漢字で書かれていても、同じ様に認識するでしょう。

 

 

たまたま息子が立ち止まったから、

「汚れが髪の毛にも見えるな。」

と気付く程度で、

一人で歩いていたら頭は丸にしか見えず、こんな大きな汚れも気に留めなかったと思います。

 

 

 

そう、このブログを読んで下さっている皆さんも、

髪の毛のような汚れには気づかれたことと思います。

 

 

しかし、息子が言いたかったのは、髪があるということではないんです。

 

 

わかりますか?この矢印のところ。


歩道に描かれた歩行者マーク(注釈付き)

 

よく見ると、少し丸が欠けているんです。

 


歩行者マークの口

ほらね。

 

 

これが、息子には「あー」と言っているように見えたのです。

 

 

つまり、息子が伝えたかったことは、

「この人、あー、あーって言ってるね。」

ということだったのです。

 

 

凄いところに気付いたなと驚きました。

 

私にしたら完全にノイズです。

これも1つの情報として、息子は取り込んで処理していたということです。

 

幼児にとっては日常生活が刺激でいっぱいだとよく言われますが、

そりゃあ、こんなノイズにまで興味を傾けていては、体力のある大人でも身が持たないでしょう。

本当に毎日必死で生きてるんだろうなと感じました。

 

 

 

 幼児以外の感性の鋭い人

 

以前にも同じような感覚を覚えた方がいます。

その人は幼児ではなく、どちらかというとおじいちゃんでした。

 

 

実はその方は、絵画教室の先生です。

 

 

私は、社会人になってから風景スケッチとかしてみたいと思い立ち、

絵画教室にも少しだけ通ったことがあります。

 

人に見せるものではありませんが、このブログでも1度だけお見せしました。

 

shokutama.hatenablog.com

 

 

この絵画の先生の観察眼には本当に驚きました。

 

物の影のなかも均一な色でなく、明暗がちゃんとある。とか

鳩の毛並みとカラスの毛並みはこう違う。とか

本物は立方体だけど、目の位置からは台形に見える。などなど。

 

 

私は、その物を見ているようで、

ここは影、これは鳥、これは立方体、と勝手に解釈して、

まるで記号のようにしか見ていないんだということを思い知った瞬間でした。

 

絵を描く際は、それでは描けません。

受け取った記号を絵にしてしまい、太陽は赤い丸の周りに点々、雲は白いもこもこ、木は茶色い棒の上に緑のもじゃもじゃ、海は青といったように、子どもが描いたような絵が出来上がってしまうからです。

 

先入観を捨て、目の前にあるものを素直に受け取らなければ、目の前のものと同じ景色をキャンバスに描き出すことはできないのです。

 

 

当たり前のようですが、やってみると、その情報量の多さにビックリします。

 

立方体を見ただけでも、見えているものは全ての角が違う角度をしているのです。

立方体は全ての角が90°と知っています。

しかし、見えている3面の全ての角度が違うとなると、それだけで12倍の情報です。

辺の長さも全部違って見えますし、

本当は全部真っ白な面だと知っていますが、

光の辺り具合や、机からの反射で、一面だけでも均一な色ではありません。

 

いかに日頃の私が、目からの情報をはしょっていたかよく分かりました。

 

 

こういう訓練を毎日、何年もしてきたから、

先生はこんなに観察力があって、しかもそれが的確なんだと思います。

 

幼児のような鋭い感性を維持するのは、並大抵のことではなさそうです。

 

 

おわりに

息子が、歩行者マークの丸い頭が少し欠けているのを見て、

歩行者マークの棒人間が「あー、あー。」と言っていると教えてくれました。

 

標識の小さな欠けも1つの情報として捉える息子の感性に驚きました。

 

一方で、絵画教室の先生も同様に、小さな色の変化や形状も見逃さない感性を持っていました。

これは、何年もの間、毎日絵を描くことで訓練して身につけた賜物だと思います。

 

 

子どものような鋭い感性を今から養うのはとても大変なことだと思いますが、

たまには丁寧に観察しながら絵を描いたりすることで、いつもとちょっと違う見方を楽しめたら良いなと思います。