子どもの記憶の形はどんな形?記憶の正体とは?
こんにちは、食たまです。
もう、3ヶ月以上前に、市原ぞうの国に家族で行ってきました。
2歳児の市原ぞうの国での記憶
動物園では、ぞうさんショーを見ました。
そのとき、
「ぞうさんの鼻に乗ってみたい人いませんかー?」
というアナウンスに、私は年甲斐もなく
「はーい!」
と手を挙げ、ショーの中で象の鼻に乗せてもらいました。
当時2歳5ヶ月の息子にとっては、目の前で母親が象の鼻にぶら下がったことは余程印象的だったのでしょう、
その後、絵でもおもちゃでもテレビでも、とにかく象を見る度に
「ぞう、はな、かあちゃん!」
と言うようになりました。
初めて話してくれたのは、象に乗った当日だったこともあり、
「そうだね、母ちゃんが象の鼻に乗ったね。よく覚えてたね。」
と返しました。
それから3ヶ月。
未だに象を見れば、長い鼻を指さしながら
と言ってきます。
これは、覚えているのでしょうか?
好意的に解釈すれば、
象を見る度に私が象の鼻に乗ったことを思い出すことで、記憶が定着したと見ることもできます。
しかし、「象、鼻、母ちゃん」このセットを話すと褒められるから、なんか良くわかんないけど言っているようにも見えます。
なぜか、象を見ると、鼻と母ちゃんという単語を思い出すという連想回路だけが残っているようにも見えます。
息子の中では、どういう状態で記憶されているのでしょう?映像?言葉?
2歳児の記憶の捏造?
なぜ、ぞうの国の思い出話を素直にすごいと聞かずに、本当に覚えているのかと疑っているのかというと、
息子は見たこともないことを、象の記憶と同じ様に話すのです。
ある日、スーパーで買い物をしたとき、バナナと1.5Lのコーラを同じ袋に入れて持ったせいで、
バナナが押しつぶされて黒くなってしまったことがありました。
その話を、夕食時に夫にしたのですが、
それを聞いていた息子が、
「バナナ、コーラ、どーん」
と言うようになったのです。
数日後、バナナを食べたときに突然また思い出したように
「バナナ、コーラ、どーん」
「ぞう、はな、かあちゃん」
と全く同じパターンです。
息子は、バナナがコーラに潰された状態を見たことがありません。
母が話していたという記憶なのでしょうか?
それとも、話を聞いて自分の記憶のように錯覚して覚えているのでしょうか?
イマイチ何が言いたいのかわからないので、なんとも不思議な感覚です。
連想回路が理解を深める
アインシュタインの脳みそは今でも冷凍保存されていると言います。
アインシュタインの脳は、ニューロンの数は一般人と同じでも、そのニューロンを繋ぐシナプスの数が普通よりも多いと聞いたことがあります。
私は、脳科学の専門家ではないので、一ド素人の解釈ですが、
あるものを見たときに、その信号は色々なところに伝播します。
この伝播先が多ければ多い程、そのものを多角的に捉え解釈していると考えられます。
この伝播先が、息子の場合はまだまだ少ないはずです。
それが、これから色々な経験を通して増えていく。
増えていく中で優先順位を付けて、大事な関連先とそんなに大事でない関連先が作られ、
人に話すこと、話す程でも無いことなど取捨選択されるはずです。
でも、まだ関連先の少ない息子にとっては、どの情報が大切なのか判断が付かず、覚えていることは全部同様に大切な記憶なのかもしれません。
今はまだ良くわからないけど、「象、鼻、母ちゃん」「バナナ、コーラ、どーん」は関連している、というただの連想回路そのものが息子の記憶なんだと考えました。
「象、鼻、母ちゃん」の連想も、
「バナナ、コーラ、どーん」の連想も、
何度も復習しながら大切に守り続けていくことで、
これから関連先が増えたとき、(例えば象ならアフリカ、アジア、地上最大、インド、ブッダ、、、などなど)その理解を深める役割を担う準備をしているのではないでしょうか。
象の記憶も、バナナの記憶も、映像なのか文章なのかどんな状態で息子に残っている記憶なのかわかりませんが、
せっかく息子の中にできた連想の回路であることは間違いないので、大切に育んでいくべきなのかもしれません。
おわりに
2歳8ヶ月の息子が3ヶ月前の記憶を話すことがあります。
それだけ聞くとスゴイことのようにも感じますが、
見たことも無いことも、まるで覚えているかのように思い出と同じ様に話します。
本当に覚えているのか、自分が話したことを覚えているだけなのかわかりませんが、
息子の頭の中にできた連想の回路であることは間違いありません。
何度も同じことを言って、復習して本人が大切にしている回路です。
私も大切に育んでいきたいなと思います。